STAFF BLOG
子供の頃からお金に不自由したことはありませんでした。
今思えば決して裕福ではなかったけど、親がとにかく甘くて沢山無理させたんだと思います。
おばあちゃんは良くお小遣いをくれる優しいおばあちゃんで、おつかいに行っては100円200円をくれる。
隣が本屋さんで娯楽がそれしかなくて、親の小銭貯金をちょこちょこ取っては漫画を買う。
何も悩まずに僕はそのまま大人になりました。
洋服の学校に行く!と東京に出たのに、半年で辞めてしまい、しばらく数年フリーター。
金遣いは荒いし、同年代の中では高級志向だったし、将来の事なんて何も考えてないし、ギャンブルはするし、あればあるだけ使っちゃう。
ずっと家賃も出してもらっていたのに、貯金なんてずっとしませんでした。
22歳の頃、病気になって「生きるの辛いなー死のうかなー」と思ったら、親が200万出してくれて。
そのお金を持ってギャンブルギャンブル、足りなくなってアコムにアイフル。
30歳の頃も、女がらみの問題起きて、「お店の売上落とした😢」と嘘ついてまた100万。
ここ数年でようやく迷惑はかけなくなって今に至ります。
「親の脛はかじれるだけかじっとけ!」ってよく笑いながら言ってて。
家族ぐるみで仲いい友達には「おまえは親の脛かじりすぎて、もう骨が出てるのにそれでも骨にしゃぶりついてるよな」って弄られたりもしていました。
今、ELENAにそんな子がいたら「おまえ馬鹿か!」って言ってやれるのに、なぜかはわからないけどそんな人生を過ごしていました。
26歳の時、子供が出来て広島で初めて人生で初めて就職しました。
「お金は別に」「やりがいが一番大事」
そう言いながら一生懸命働いていたら、ロケットスタートを切ったはずなのに途中でどんどん色々な人に抜かれていきました。
「お金が欲しい」「上に上がりたい」「夢や目標を叶えたい」
そうなる動きができてなかったなって今思えばわかります。一生懸命やるだけじゃ足りなかったんですね。
そこを辞めて何もなかった時にたまたま読んだ本に
”日本人はお金について語ることを良しとしない文化がある。わかりやすいのが昔話で主人公のおじいさんは心優しいが貧しい、その裏に心が汚い大金持ちの将軍なんかが描かれている。心の澄やかさを美徳とする日本人においてこういう植え付けは大きいが、心優しいお金持ちもいれば、心が汚い貧しい人間もいる”
そんなことが書かれてあり、自分もまたその一人だと思い、今度はしっかりお金を稼ごうと少し変わりました。
仕事を頑張って、今度は「こんな待遇にしてもらっていいんですか!?」ってくらいの評価してもらって初めて親にまともな親孝行をしました。
確かサプライズで淡路島旅行と誕生日ケーキを用意したんかな?
人5倍くらい迷惑かけてきた中で
僕が親にしてもらったことからみたら何千、何万分の1のお返しでしたが、母からは「涙が出た」と感謝のLineが届きました。
また少ししたら、子供のために貯金してやろうと通帳を作りました。
大した金額ではないけど、いつか結婚するとき、いつか島根に住むことがあれば、渡してやろうと思っています。
お金持ちになったことはないので、僕には僕のレベルでしかわからないらけど、とある時期から
”お金は誰かのために必要だ”と思うようになりました。
誰かを喜ばせたり楽しませたりしてやれる。時に感動させることもある。
めっちゃ困ってる人を助けれる。
誰かの夢や希望に必要だ。
金遣いもへたくそで、余裕もないけど、自分の価値観的にはそれが合ってるような気がしています。
ELENAも前職の半分の固定給でやってますし、目の前のお金だけを見るならELENAは出してなかったかなとも思います。
家に現金を持って帰ってお金を数えるときは金運アップと言われる末尾5.7.8.9XYZを避けて、財布から1万埋めて、旅行とかいざという時に使うようにしています。
先日のブログにあるように雄太が辞めることになりました。
事情はもちろん全部聞いていたので仕方ないし、何より雄太が思いっきり元気の無さを出すし、ずっとそっとしてきました。
先週くらいに声が変わって。
「やっと開き直れました」というので、昨日久々に二人でごはんにいくことになりました。
やっぱりお金は必要です。
(予定してたお店は定休日だったけども)
その食事中に
「こないだまさくんと広島行ってたじゃないですか?」「ほんとは俺も行きたかったんですよね」というから
『あーそうなん?一瞬浮かんだけど、今それどころじゃないだろうなって気を使って誘わなかったんだけど・・・次の休みで一緒行くかー』と決まりました。
”雄太(一旦)お別れ旅行”になるので、雄太には出させれない。(大好きな性感エステ代はちょっと考えるけど)やっぱりお金は必要ですね。
きっと僕が今これを書いたのは”私は別にくれくらいあればいい”という考えを捨ててほしいからでしょうね。
僕は37.8歳でようやく気付いたけど、誰かを喜ばせたり、助けたりすることは深ければ深いだけいいからねと。
音信不通の弟が一文無しで20年ぶりに現れて世話しないとやっていけない状況になることもあるかもしれないしねと( ;∀;)😢😢😢
そんな夜を終えた翌朝
さすが、雄太。
いいオチ提供、ありがとう。
何十年も僕はこの歌を聴いていますが。
”痛みのない音楽は僕は好きじゃない”って言う価値観は僕はめっちゃ好きだけど、今の時代にはあまり支持はされないんかなあと思う今日この頃ですね。