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ここ最近起きた出来事と、ブログに書いためいの”多様性”という言葉がひかかり最近ずっと迷路になってブログが書けなくなっていました。
書きたいことがある。
でもうまく向き合えない。うまく言葉にする自信が無い。
63歳のおっさんに伝えたいけど、がっかりさせたくない。
それが書きたいから他の事を書く気になれない。
そんなことが頭の中でぐるぐる回りながら。毎日ブログを書かなきゃなーと思いながら。
しばらく整理してみようと日々を過ごしていました。
そんな折、家で事務仕事をしながら誰もが知ってる有名な句が頭に浮かびます。
織田信長 1534-1582年
「鳴かぬなら殺してしまえ時鳥」
豊臣秀吉 1537-1598年
「鳴かぬなら鳴かせてみしょう時鳥」
徳川家康 1542-1616年
「鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥」
自分は信長と秀吉を行き来してるのかなー。山本&田村はずっとめちゃ家康だなーとか。
そんなことを考えていた中でふと。
500年前から多様性というものはそこにあったんじゃないか。
”多様性”って言葉をメディアが拾うから少し過敏になりすぎてただけで、そんなものは500年前も500年後もそこに当たり前にある河原の石ころみたいなもので、過敏におもうほどのものでもないんじゃないか。そんな風に思ったんですね。
もちろん、それ以外の回答を持つ人もいただろうし、時鳥?そんなもん知らんがな!って人もいただろうし。
3人とも同じ時代を生きた、その時代を築いた人間で、信長を支持する人もいれば真逆にある家康を支持する人も今も昔もいたはず。
うまくいかないから、なかなか伝わらないからって自分をそこまで否定する必要はなかったんじゃないかとふと思ったのです。
考えだした始まりの一つのエピソード。
「私のおじいちゃん、すごくデリカシーがなくてあまり好きじゃないです。」
『なんで?』
「久々に会った時に「おー!目が大きくなったな!整形したか?」って言われたんです」
『それは多分おじいちゃんなりの誉め言葉、ジョーク・ユーモアでしょ?』
「そんなことないです!お父さんも怒ってました!」
『それは自分の可愛い娘が不快になってる様子にでは・・・笑って「してないわ!(笑)」とか「そうそう!」とか乗ってたら別に怒らなかったんじゃないの?』
「もういいです!オーナーはきっとそう言うんでしょうね(ぷんぷん)」
みたいな。。。
(本人の許可を得てあげてますので。あげていい?と聞いた時は何故か喜んでました。)
僕の父と娘に当てはめると「してないわwww」くらいの話が、性格や関係性で繊細な話になってしまう。
これに近しい事って割と頻繁にあるんですよね。
褒めたつもりが、期待したことが、アドバイスを、”今の自分を否定された”と捉えられてしまう。
飲み込まない子は一回も飲み込まないんですよね。
「そういう考え方もありますよねー」って渡したものを横にそっと置く感覚。
そして、だからこその良さもある。
多様性かー。。。。むずっ。
自分を信じて貫くのか
それとも女の子合っての商売なので今の女の子の価値観に合わせるべきなのか
臨機応変にやるしかないのか
迷路に陥ってしまいました。
答えはまだよくわかりません。
だけど、僕に足りなかったものが、
褒めたつもりが、期待したことが、アドバイスをする前に
「僕は、あなたのことをこう思ってるんだよね」とちゃんと説明することだったのかなと思っています。
そこだけはっきりしました。
おじいちゃんも「すごくかわいくなったね。整形でもしたか?」なら少しは変わったのかもしれない。
僕はそういう粋な方が大好きだから、自分もどんどんそうなっていってて。
だけど、それを若い子たちに、コミュニケーションが足りてない相手に
そんくらい言わんでもわかるだろ。
を当てはめる、押し付けるのは傲慢だったのか、少なくとも優しくはなかったんだろうなとそこに行き着きました。
自分の仕事に対して。
全然足りてない。わかってない。
あと何年かかるんだろーという想いです。