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田中田

田中田の"人の幸せくらい喜んであげましょう"

スタッフブログ:2023年08月19日 07:07の投稿「田中田の"人の幸せくらい喜んであげましょう"」
みなさんお疲れ様です
田中田でございます
 
先日、サッカーしてる甥っ子が家に来まして、いろいろと話聞いてたんです
なかなかレギュラーになれない、なかなか自分が思うように使ってもらえない、アイツより自分は上手いし頑張ってるし自信もある、と言うような話

こんなにがんばったのに報われないのかとか、あの人そんなに努力してないよねとか、そんな風に思って、人様の幸運をついつい羨ましく思ってしまうこと、あなたにもありませんか?
頑張ったから報われると思うなよ、ではありますが。
 
視点が高くなればそういうものはどんどんなくなっていきます
 
例えば、甥っ子が選手ではなくチームの監督であったとして、自分が選手として出れないとしても、自分の作ったチームで優勝出来たとしたら喜べると思うのです
例えば、あなたが親の立場であったとして、自分が学生時代勉強全くできなかったとしても自分の子供が東大入ったら喜ぶと思うんです
例えば、あなたが社長の立場であったとして、自分が売り上げ取ってこれなくても社員がガンガン売り上げてくれて会社の業績が上向けばあなたは喜ぶと思うんです
 
それと同じようなものです
一種の視点の違いなんです、これも
 
甥っ子は選手なんだから仕方がないではない、自分の子どもなんだから当たり前じゃない、社長だから当然でしょ、ではなくて、視点が上がっていくとどの現象も自分に関わることとしてありがたく感じられるようになるものというかですね
 
この自分が関わることとしてどの現象もありがたく感じられるようになるというのは、循環に繋がってく話でもあるといいますか。
 
自分の手柄を自分の手柄として喜ぶ
これって普通のことですね
僕が、私が頑張った!褒められるべきは僕であり私である
全くその通りでそうしてもらえばいい話ではあるのですが、そこで終わりなんですね、循環はしない
 
もうひとつ上のステージでは自分の手柄を他人の手柄にしてでも一緒に喜ぶコトにする
これは循環してくのです
 
人の成功を喜べることが循環してく
なんとなくそのイメージが湧きますでしょうか?
 
誰かの幸せを喜べる自分がいて、自分の幸せを喜んでくれる誰かがいる、そのまた誰かの幸せを他の誰かが喜んでくれてるのを自分が喜べる
 
それが何になる?他人の幸せが喜べたらどうなる?そのエビデンスは?そういうことじゃないのですよ
 
人の幸福を自分のことのように感じられる自分であろうとすること
 
評価とか競争とかある世界ではそこは難しいとこもあるかもしれませんが、そういうのほんと大事なんですよ
そういうの目指しましょ
 
さて、、、私はといいますと、、、
筆文字を習ってまして、、、
私の文字のほうがどう見てもイケてると思うのですが、褒められるのはいつも私より若い子なんです
 
田中田も試されてます笑
 
今日もlounge Elenaに"楽しい"と"うれしい"とありがとう"がいっぱいに溢れますように
 

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