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佐藤

佐藤より新年のご挨拶。

スタッフブログ:2024年01月01日 20:00の投稿「佐藤より新年のご挨拶。」

昨日は店関係者で集まり最後のミーティングと慰労会をしました。

さすが厄年の年末だけあって、思いもよらない話が続々と舞い込み、2杯あった蟹は、ハマグリ、サザエを焼いている間に皆に綺麗に食べられ、とうとう蟹足1本も食べることなく、冷めた蟹雑炊を食べるような始末。(おい!1本2本残すか持ってくるかしろよ!!!)

なんかなー。
と胸にしこりが残る思いで、ノリと勢いでそのまま須佐神社→出雲大社に行くことになりました。

朝から買い出し、大掃除、12月の締めと慌ただしい中、疲れがたまり切った中で、おなかいっぱい。

正月だからか、皆が眠くなったからか、久々に時間に追われてない車内で少しいつもと違った話が始まりだします。

”なぜ雄太が人に厳しく言えないのか”
”山田(仮名)さんは、つらかった過去があるのか”
人の事はさておき、そういう普段話さない話をじっくり聞いたろうが始まります。

僕も自分が嫌がらせを受けた、嫌われた時代の話と
いつから今の自分になったのかを聞かれ話しました。

地元いる最後の一年はなかなかに壮絶で。
高校1年から夏にかけて買いに買った恨み妬み憎しみが残り半年で一挙放出されました。

①一日中鳴る電話。
当時黒電話だったのですが、朝から深夜まで電話が鳴る。母や祖母が出ると「死ね」「殺すぞ」とガチャ切り。

おかげでプッシュフォンに変える羽目になりました。

数か月後に誰かから聞いたところによると主犯の子はスキー合宿に行ってて、スキー練習以外はずっと公衆電話にはりついていたそうです。

その後もあんな根性ひん曲がった男とは出会ったことがない、怪奇現象の電話が可愛く思えるほどの電話の鳴りようでした。

②学校の机。
1980年前後の金八先生みたいな油性マジックでの落書き。もちろん気分は悪いけど、全く気にせん。本気の全力の強がり。

③ロッカーが開かない。
廊下のロッカーが蹴られすぎてぼっこぼこ。
目立って恥ずかしかったな〜。これも机と同じですね。というか、机もロッカーも俺のじゃない!学校のものを壊すな馬鹿たれ!

④ブーツに大量のチョーク。
靴を履いていくと、大量のチョークが。
これ押しピンじゃないところがミソで。ケガさせるとやばいからケガしないチョーク。
チョークは精神的には来ないけど、靴が汚れるのが嫌なので、最後は父さんの親父サンダルで登校するようになりました。
電話の件もそうだけど、男が出ると切る。そういう相手でした。

⑤壮絶な無視。
クラスの9.5割と目が合わない。
これは割と平気で。仲良くなりたい人間とは仲良くなれなくても平気なのは昔からです。

簡単に言うと、プライドを傷つけたのでしょう。
確か出会った頃「俺は〇人登校拒否に追い込んでて、今のターゲットはあいつだよw」みたいなこと言ってきて「くだらん」みたいに馬鹿にして。
それを怖い先輩と仲良かったからそれが卒業するまで何年も根に持たれて。

そこまでされる覚えはないですが、誰も逆らわなかった彼にとって、思い通りにいかないことが許せなかった。んーなんとなくもう一回言いたい。

「くだらん。」

一回体育の授業でサッカー中に、授業とは思えないリーガエスパニョーラ顔負けのスライディングタックルを何度もしてくるので、笛が鳴った瞬間、腹立って尻を思いっきり蹴って

「蹴りたいなら普通に蹴ってこい」

って言って教室に戻ると、たったったった!



遠くから聞こえるこんなダッシュで戻ってきて、教室で着替えている僕に向かって、直角に2度曲がり、突進してきたので冷静に机をぴってずらしたら突っ込んでぶちぎれられました。今考えてもあんな冷静な判断その先あったかなーくらいの瞬間ですね。

そしてぶちぎれて僕の服を掴み、掴み、掴み〜何もしないんです。殴ったら自分が悪くなるから。停学とか進路とか。

で、「服伸びるから離してくれる?」というと何かぎゃんぎゃん怒鳴っていましたが、そこへ唯一残った友達が戻ってきて

「おまえが悪いのみんなわかってるよ。ただおまえと関わりたくないから何も言わないだけだろ。」
「てか、おまえが倒した机俺のだから戻せよ」

心の中で「ごめん〜」と思いましたが、そんな友達は今県外で、警察官となり頑張っているとのことです。いや〜青春ですね。(笑)

彼がいてくれたから僕は笑って高校を卒業できたのは大いにあるので、今年の目標は今年こそ彼を訪れて感謝を伝えたいですね。

あまりいじめられた。
って思ってないんですよね。
ただただ一人に嫌われ、周りが便乗して嫌がらせがエスカレートした。いじめか。。。
でも本人は割と元気なんです。「こんな奴らと友達でいなくてよかったわー」くらいで。
強がり10の本音10ですかね。

ただ主犯格が就職直後に仕事で指が飛んだというような噂を聞いて
「因果応報」という言葉を初めて意識するようになりました。

僕の人生もずっと因果応報。
それを何十年も繰り返す自分のあほさが情けない。
けど、やめれない、止まらない。ギャンブルとか浮気とか一般的なものですかね。

自分にも沢山の非がありました。
悪いところは今もそう変わってないというかたまに出ます。好きな人もいたし、合わない人もいた。

だけど、僕はその場で言って尾を引きたくない性格なのでそういう陰湿さが嫌いです。
だから島根に戻ってから感じた陰湿さはすごく毛嫌いして自分の目が届くところには全排除しました。

その環境の変化に、
「風通しがよくなった」と言ってもらえた時は嬉しかったですね。

(正月になんのブログを書いてんだ!?
というのはあほな僕でも理解していますので最後までお付き合いください(笑))

正月早々、不幸自慢をしたいわけではなく、伝えたいのはここから。

そんなこんなありまして。
18歳の春。僕は東京に出ました。
東京8年、広島7年、愛知半年で島根。

そこから先、大勢にいじめられることも嫌われることもありませんでした。

まあやっぱり引いてる、怖がる人もいたけど、どちらかと言えば可愛がられるか面白がられる。

思いを話すのでどこに行っても理解してくれる人はいる。
敵もできるけど、強い味方ができる。

それでいいじゃないかっていう40年と、それだけじゃ足りない、少し変わらなきゃと思う41歳を今過ごしています。

同じ発言、同じ行動でも

「こんな人初めて!」
「変な人」
「怖いです」
「気持ち悪い」
「おもしろい」
「頭おかしいw」
「とてもいいと思う!」
「応援する」

人の捉え方はそれぞれで、だからいちいち顔色を伺うのではなく。

大事なことは

”自分が好きな人が、大切に想う人がそんな自分をどう思うか”

僕はそう思って生きてきました。


目の前にいる人も大事だけど、できることなら誰も不快にさせたくないけど

だけど、僕がお世辞やおべっかを使いまくって、嘘の言葉と偽りの笑顔で誰かと向き合ってしまうと、そんな僕を山口社長が、きょうこが、自分の親が娘が、そして一緒に立ち上げた山本や岸や田中田さんが観たらどう思うのか。

そんなことのためにELENAを出したわけではない!

自分たちが嘘をついて楽しくないお店を出して働いてもなんの価値もない。

いつもそこにいない大事な人たちが僕を見ているという意識のほうが大事なんですね。(酔ってるときは全員どっかいなくなるけどね〜)


無であった多くの同級生に嫌われても明るく普段通りの高校生活を精一杯振舞っていました。

アルバイトして、そのお金で1か月広島の先輩のとこに行ったり、めちゃくちゃさぼりまくってましたけどね。

その精神は今もこれからも続いていくような気がしています。


思いのほか長くなったのでもう一つはシンプルに。

雄太からの「じゅんさんはいつから今のじゅんさんですか?」の問いに対してのお話。

今まで沢山の人が僕のことを良くも悪くも評してきましたが、一番しっくりきてるのが約10年前に言われた

”真面目なカス”
多分これ以上の言葉は出てきません。

年々カス部分は消していくよう心掛けてはいますが、まあやっぱり根がカスなので、いつまでたっても善人にはなれないまま。

まあさほどなる気もないのですが、だけど、認められたい人に認められたい願望もある。

自分を変えた言葉っていくつかあって。その中の一つが

「私はすぐ怒鳴る奴が嫌い。”自分は理性も知性もありません”って言ってるようなもんでしょ」

度々出てくる山口社長が誰かの話でそう言っていました。(自分の話をしてだったかな?)

昨年あったところだと、確か、野﨑に怒ったときだったかなー。
隠したらいけないことを隠してたと早とちりしてか何かで。

「女の子は人が怒鳴るのは嫌いだよ。それが自分に関係ないことでも女の子の前で誰かにきつく言いすぎるのはやめてほしい」

ELENAでもそういうのを嫌う子は沢山いて、僕になんでもかんでも言ってくる子にそう諭されたことがありました。
それ以外で怒鳴った記憶はありません。(きつく言う時はしばしばあるけどね〜)

元々短気だし、すぐ怒鳴ったり、壁殴ったり、物に当たったりするようなところはありました。
ずっとそうで、広島に行ってから慕った上司がそういう方だったから拍車をかけてそうなっていきました。

そうある中で、一つの結論に行き着きます。

「自分の感情で怒ると人は離れていく。」

もう何度もこれですごい大事だった彼女が人が離れていく。

嫌なものは嫌!
というのは変わりませんが、それで表現が変わりました。

人には人を変える言葉が、瞬間があるんだという話をしました。

そこに関しては山本、岸は100点です。
二人のおかげ、うまくバランスをとってくれてると感謝です。

雄太の質問に対して、ぱっと浮かんだ話がそれでした。山口社長と年始の挨拶と一年の振り返りで絡んでたからからなー。

余談ですが。
年末も僕が山口社長を誰かと引き合わせようとすることに対して、良かれと思ってだけど、僕はされることが苦手なのでそれについてどう思われてますか?と聞くと

「信頼できる人が私のいないところで私のことを思い出し考え、誰かを繋げようとしてくれることは幸せ以外何ものでもない」

そう言われました。

今日はお世話になった方への新年長文ラインを転送すると

「めちゃくちゃ迷惑(笑)(笑)」

と弄られました。

山口社長はそんな人で、去年も今年も山口節は全開です。

たまにジャイアン子(誤字ではない)出してくるけど、僕とほぼ変わらない年齢とは思えない完成度の高さに毎度毎度感服です。


いやー長いですね。
自分でも思います。
あと少しなのでお付き合いくださいませ。


二つの神社で5回ほどお賽銭を入れ願いました。
欲張りなので、3つ、4つくらいずつくらい。
目をつむって手を合わせて心に身を任せ出てくる思いをそのまま願います。

ELENAが今年も無事営業できますように。

ELENAに集まる人の多くが楽しんで、喜んで帰られますように。

ELENAで働く皆が、大きな事件や事故に合わず守られますように。


子供が今年も一年元気に過ごせますように。素敵な大人になりますように。


まると雄太が今年も飛びませんように。二人にとって飛躍の一年になりますように。


晴香が、常務が、きょうこが、田中田さんが、高橋社長が。

思い浮かんだ大切な人のそれぞれを願いました。


両親が長生きできますように。(これはちょっと偽善で願いましたけど)


最後5つ目ではっと気づきます。

「あれ?自分の事願ったっけ?」

僕が最後に自分の何を願ったか。
小説や映画なら「それは僕だけの秘密です」と言いそうなところですが、正直今全く思い出せません。(笑)

それくらい大したことじゃなかった。
特に不満も願うこともなく。すごく人に恵まれているのだと改めて思いました。


皆さま、あけましておめでとうございます。

今年も一年よろしくお願いします!

それでは3日以降にまた会いましょう!


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