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先日いったカレー屋のこだわり、数日前の山本のブログを読んで、ちょうどさっき何度も読んできた”味いちもんめ”を読んだところでそのワンシーンと重なったので、今日はそれについて書いてみようかと思います。
まずは味いちもんめから
想像してください。とある割烹屋での一部始終。
追い回し「伊橋さん、ちょ、ちょっと・・・」
仲居さん「どうも今日の煮物は味付けがおかしい」「薄すぎると・・・」
主人公伊橋「そんなハズはないよ!!」「ちゃんと親父さんに味をみてもらったんだから。」「その客の味覚がどうかしてるんだよ!!」
仲居さん「でも始終お見えになるお客様で、”自分の味覚に間違いはない。普段と違う”と、おっしゃってますが・・・」
親父さん(無言で考え中)
親父さん「よしわかった。」「伊橋、もう少し濃い目の味付けにしろ!!」
主人公伊橋「だ、だけど親父さん?」
親父さん「客も体調によって好みが変わることがある・・・」
主人公伊橋「そ、それなら親父さんそのことを言ったほうがいいですよ。」「”藤村”の味を守らないと・・・」
親父さん「”藤村”の味を守ることは大事や。」「そやけど、」「少し譲歩すればすむことやったら時には客の側に立つことも大事や。」
基本人の気持ちがわからず、基本何も考えてない田村。
柔軟に見えて誰より頑固な山本。
病的な気分屋佐藤。
ただ佐藤がいつも言うのは”誰に対してもできないことはするな”なんですよね。
親父さんの最後のセリフ、濃くする薄くするくらいは誰に対してもある程度は合わせてあげれることだからそれくらいはいいじゃないかって思うんです。
結局伊橋は、後日陸から見た建物や土地と、船で海に出てそこから見た同じ建物と土地に見え方が違うことに気づき、それと同じようなことかと納得することで話が終わりました。
同じものでも見る場所や角度を変えれば違う見え方をするもので、その方が柔軟でもあるし、正解に近づく可能性はあがるし、何より人に好かれるってことかなと思います。
そこで思い出しました。
先日カレーを食べに行って、普段150グラムか200グラムのお米で頼むんですが、思いっきりお腹空いてたんで、初めて400グラム頼んだんですね。
米は倍だけど、皿は変わらない。そしたらルーは皿の面積的にどうしても少なくなりますよね。
めちゃくちゃあまりにルーが足りなくて、お金は払うからルーが欲しいと店員さんに言うと、「ごめんなさい。無理です。」
「なんでなん!!!!?」
声を大にして言いたかったです。
吉野家の紅しょうがは取り放題なのに、丸亀製麺のつゆは入れ放題なのに、なぜここのカレーのルーはお金払うのに頼めないの
「なんでなん!!!!?」
田村なら何も考えず「はいはい、どうぞ〜」って持ってきただろうし、もしかして裏に山本おるんかな!?と思いました。
知人に今この話して、自分だったらこのケースどうします?って言ったら
「米なしカレーおかわりするw」
と言われました。
その発想もなく、僕はただただ200グラム近い白米を食べれるだけ食べました。
もう二度と400グラムを頼むことはないですね。
お店のルールか知らんけど、目の前にある白米200グラムを見て何かは感じてもらいたいですね。