STAFF BLOG
8/7に愛知県に住む子供の家に行って、そこから東京旅行、島根に戻り、愛知に送り、大阪観光して昨日ようやくひと段落しました。
東京から帰った翌日、39度を超える熱が出て、幸いコロナではなかったのですが、完治までもうしばらくかかりそうな今日この頃です。
あっという間の夏休みだったのですが、何を書こうと考えた時にこれしか浮かびませんでした。
8/11の夜、元嫁と電話していた中で「おまえ、いつ離婚を話すの?」というと『あれ?言ってなかったっけ?半年前に話したよ』 「えっ!?」
半年前、僕が知人に「今から元嫁とごはん」とLINEしたのを娘が覗き込んで”元嫁じゃないでしょ!”と突っ込まれたのは薄っすら記憶にあったのですが、その後母親に問いただし、真実を知って大泣きしたそうで。
”パパには私が知ったことを言わないでほしい”そう言って、その後ショックからか学校を早退・欠席を繰り返し半年を過ごしたとのことでした。
学校の友達に
「うちは離婚してないよ!近くにいたら喧嘩するから離れて暮らしているだけだもん!!」
と意地になり
僕にはいつも
「パパが浮気したら、離婚したら私はパパを絶対に許さないからね。もう会わないからね。」
と会うたびに言い放ち
「離婚してないよ」
と両親が言うのをただ一心に信じようとしてきた今時珍しいくらい純粋で素直な子供にとってとてもショックなことだったのでしょう。
どうしたもんかなーと考えながら、電話を切りました。
世の中には色々な離婚の形がありますが、僕は”それしか選択することができなかった”という形で離婚することになりました。
物わかりの良い嫁と、まだ物心がついてない娘に泣いてもらうか
それとも勤務先そのもの、そこに関わる多くの人間、そして人の命か
馬鹿すぎた自分の取った行動により、どちらかを選択する羽目になり後者を選ぶことで収束したのが7年前の出来事です。
その約一年後、僕は結局何もかもを失って行き場を失くして「一生住まない」と決めていたはずの島根に戻る羽目になります。
元嫁と電話した数日後。
じいじやばあば、職場の人間たちと久々に離れ、二人きりになった時間に。
「パパ、私が思うこと言っていい?今しんどいからだめ?」と娘が話しだしました。
何か大事な話をした気はするのですが、何を話したのか全く思い出せず、浮かぶのは唐突にきた
”それは離婚してるから?”というセリフ。
僕はとてもオープンな性格をしているので何かを隠したりすることがありません。人が隠したいような恥も人が引くような話も必要があれば話すようにしています。
そんな中、唯一つだけ、ずっと言えなかったことを娘に突かれ堰を切ったように何年振りかに号泣しながら娘に謝りました。
結局話途中で従業員がチャイムを鳴らし消化不良な会話で終わってしまったのですが・・・。
翌日僕の友人と4人でカフェでピザを食べながら
「私は私が一番パパのことをすきだっていう自信がある!」
人前でそんなことを言う子でもないのに、あの子の中で何か開放されたものがあったんだろうと思ってよい時間だったなとしみじみ思いました。
お店が閉まってから娘と従業員とでELENAでカラオケをしました。
「人前で歌わないから!」と何度も言っていましたが高揚していたのか、空気を読んだのか小さな声で歌う娘。
7年前、家族で過ごした最後の日以来の娘の歌はとても上手になっていて、少し感動。
最後の日に何も知らない娘が歌った日々は今度は笑って聞けるようになりました。
出逢った日 恋に気づいた日
結婚した日 別れたいと思った日
子供を抱いた日 手を離れた日
溢れる涙よ これは幸せな日々
泣かせた日 家を出て行った日
抱き合えた日 背を向けて眠った日
希望を持たせた日 それを恨んだ日
溢れる涙よ やけにデコボコな日々
出逢った日恋に気づいた日
結婚した日別れたいと思った日
子供を抱いた日手を離れた日
溢れる涙よ これは幸せな日々
涙の数だけ きっと幸せな日々
当時は「最後に何つー歌を歌うんだ!」って思いましたけど。
5つ星ホテルにも泊まったし、スカイツリーにも登った。沢山買い物もして、美味しいものも食べた。
それでも僕にとって一番の印象に残ったシーンはいつも過ごす部屋で娘と話した時間となりました。
思い出はお金じゃ買えないですね。