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求めあう関係と求めあわない関係と

最近答えが出ないことが一つありまして。
”求めあう関係”と”求めあわない関係”どちらが有意義に過ごせるのかということ。
もう少し言うと、求めすぎることは良くないのはわかるのが、どうも今の風潮的に求めることが僕の中の求めすぎと同じ重さになってしまってるのかなと。
時代についていけてないのか、価値観がずれているのか、ベストってなんなんだろう?
どうしたもんかな〜ともやもやもや。
とりあえず静観してようといると、今度自分の存在意義が見えなくなり、もやもや。
この出口はどこにあるんだろう?と彷徨う日々に陥ってました。
僕は求めない相手との関係性に意義をさほど感じられない性分で。
だけど、それが相手を苦しめたり、反応や見返りの弱さ無さにストレスに感じたりどうもこのままでは良くないような転機に感じる気がしてきて。
山本は”求められたくないから求めないところがある気がします”と言うし
田村に至ってはへいへいと言われることをこなすばかりで、基本人に何も求めない。求めないし、与えもしない。
平和と言えば平和そうだけど、つまらなそうと言えばつまらなそう。
僕がELENAの中で感じるのは、求められることを嬉しく思うのは全体の1割2割くらいなものかなーというところです。
残りの8.9割は嫌いそう。
でも、僕はその人たちがなんか好きなんですよね。
関係者であるお客様から連絡来たから暇なら神社に付いてきてくださいという女の子だったり
店には行かないけど、おまえちょっと付き合えって行って週末に他店に連れてくお客様だったり
社員旅行の話を軽くしたら、よし付いて行ってやる!金はお前ら出せよ!っていうお客様だったり(冗談とは思いますが、本気とも捉えかねない)
幸せと言えば言いすぎだけど、嫌なら嫌って言えばいいし、なんかそういうのって楽しいじゃないですか。
嫌なら嫌って言えない人がそれを嫌うんじゃないかと思うんです。或いは嫌と言うと怒る相手。僕はその気が強いなって反省もしたんですが。
「人に求めあうか求めあわないか」という言葉は、他人との関係において、互いに助け合い、依存し合うか、それとも独立して自立するかの二つの側面を表していると考えられます。人にはそれぞれ個性があり、状況も異なるため、どちらが必ずしも正解というわけではなく、状況や関係性によって判断すべきです。
互いに求め合う(依存し合う):
人は孤独を恐れ、他人とつながり、共感や理解を得たいという欲求を持っています。困難な時に助けを求めたり、相談相手を必要とすることは自然なことです。また、協力し合うことで、より大きな目標を達成することもできます。
求め合わない(自立する):
一方で、過度な依存は相手の負担になることもあります。自立し、自分の力で問題を解決することも重要です。自己肯定感を高め、成長を促すためにも、ある程度の独立心は必要です。
状況や関係性によって判断が必要:
例えば、家族や親しい友人同士では、互いに依存し合い、助け合う関係が築けるかもしれません。しかし、ビジネスパートナーや取引先では、互いに尊重し合い、自立した関係を築くことが重要です。
バランスが大切:
完全に依存したり、完全に自立したりするのではなく、状況や関係性に応じて、適切なバランスを取ることが大切です。互いに理解し合い、尊重し合う関係を築きながら、ある程度は自立し、成長していくことが理想的です。
結論:「人に求めあうか求めあわないか」は、二者択一ではなく、バランスを取ることが重要です。互いに依存し合うだけでなく、自立心を持ち、成長していくことが、より充実した人生を送るための鍵となるでしょう。
教科書みたいですね。
バランスは何に対しても大事。
だけどなー。理屈じゃないんだけどなーって。
なんか自分の中の答えが出ずにモヤモヤする日々です。
求める合うことで強い味方が常に周りに居る人もいるし
求めないことで楽で人に好かれてる人もいるし自分の理想ってなんなんだろうと考えるのです。
ブログを書きながら一人変な人を思い出したのですが
島根に戻ってきた当初働いていた職場で出会った人で、昨今はあまり見ないずるっずるに引きづったデニムに腰パン、チェーンベルトをする僕よりちょっと年上の先輩がいました。
財布に60万だか70万入れてて「これ、俺の全財産」と見せびらかす様子に
当時は「すげーっ!」って思いましたが、今では違う意味で「すげーっ!!」って思います。
全財産を常に持ち歩く人っていないですもんね。
その人は時々職場に缶ジュースや缶コーヒーを段ボールごと差し入れで持ってくるんですが、その出所を絶対に言わないんですよね。
「まあファンがいるから」みたいな返しされたと思うんですが、盗品ではないなら隠すことでもないのに、なぜそれを隠すのか。。。
その人はいつも口癖のように「俺は人に依存しないから」と言っていました。
人に依存しない・・・
だから家族にもお金は預けられないし、家に置くわけにもいかず持ち歩くのか。
だからどうでもいいことをあれこれ隠す羽目になるのか。
なんかそんな気がしてしまうのです。
いじってるわけでもなく、人に依存しない人って無駄に隠す傾向があるって思うんです。
僕がオープンすぎるのは、普通言わない話、言わなくてもいい話をしてしまうのは人に依存してるからなのか。
結局その人とは合わずに縁が切れてしまいましたがなるべくしてなったような気がしています。
仕事の事で悩むと相談する先生みたいな人がいるんですが、前に「常連さんとかお金使う人が急に来なくなることってない?」と聞かれ、ありますよと答えると
「それって見返りが弱かったんだと思うんだよね」と言われました。
いくらいくら使ったからこうしてよ!なんてものじゃない。
だけど、自分の中で頑張って、お店はいつもと同じ「ご馳走様!ありがとう!おやすみなさい!」だと、やっぱり萎えるよねって。
それがうまくいかないから悩んでるんですが、僕は求めないのは相手が自分の子供だけで、大人には求めたいよーっていうのが本音です。
大人のふりしたり、大人だったり。
我慢したり、素直じゃなかったり。
理由は人それだけど、誰だって本音はそうなんじゃないかなって思うんですが、どうでしょうか?
強要はしないけど、そういうものを汲み取れる人間が多く働いてくれる環境であればと願っています。