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いよいよ今年も残すところあと3ヶ月。
月日が経つのは本当に早いですね。
「ついこの前お正月を迎えたと思ったら、もう年末⁉」
なんて思ってしまうのは、きっと僕だけじゃないはず。
(体感時間が早くなるのは歳をとった証拠だとか言われますが…そこは聞かなかったことにしておきましょう笑)
さて、今日は最近聞いて好きになった“勉強する理由”についてのお話を。
例えば、目の前にコップ一杯の水があります。
算数を勉強したら → 「200ミリリットルだ」とわかる。
理科を勉強したら → 「水素と酸素でできている」とわかる。
社会を勉強したら → 「浄水場で綺麗にされて届いた水で、世界には安全な水を飲めない人もいる」とわかる。
美術を勉強したら → 「光の反射をどう描けば綺麗か」がわかる。
音楽を勉強したら → 「水の量で音が変わる」と表現できる。
国語を勉強したら → 「この話を理解できる」。
哲学を勉強したら → 「そもそもこの話に意味があるのか」を考えられる。
もし勉強していなければ、そこにあるのは、ただの“水”。
僕はこの話、とても素敵だと思いました。
人にはそれぞれ得意分野があります。
同じ“水”を見ても、数学的にとらえる人もいれば、美術的に感じる人もいる。
それぞれの「観点」や「見え方」が違うからこそ、勉強って大切なんだと気づかされました。
そしてこれは、日常のコミュニケーションにもつながると思うんです。
例えばジェネレーションギャップ。
「わからない」「知らない」で終わらせることもできます。
でも、ちょっと勉強していれば、その話題をいろんな角度から膨らませられるはず。
僕自身、我が強くて「自分の見え方」で話を進めがちです。
もし僕が体育的な観点で話していて、相手が数学的な視点を持っているなら、体育的な例えでは響かないかもしれない。
この話を耳にしなければ、僕は”水は水だろ”という会話しかできなかったと思います。
だからこそ、相手の視点を想像できるように、自分の中にない見方を少しでも学んでおくことが大事なんだと思います。
勉強は“テストの点数のため”だけじゃない。
人との会話を広げるため、自分の世界を少しでも広くするためにある。
一度は耳を傾けてみる。
それだけで、今までただの“水”だったものが、まったく違う姿に見えてくるかもしれませんね。