STAFF BLOG
土曜の昼間に。
知らないブランドを耳にしたので、調べていると毎日ファッション大賞に行き着き、1983年、第1回からの歴史を振り返ってみました。
そこから
10代ー20代前半まで好きで着ていたアンダーカバーのデザイナー高橋盾さんに目が留まり、記事を読んでいたところ。
”今は、やりたいことをやり続ければいいという時代ではないじゃないですか。
好きだったらとことんやってほしいけれど、とことんやるには何をしたらいいのかということを考える必要はあると思います。
やるからには自分にしかできないものづくりを追求して、時には欲を出して自分をさらけ出すことも必要。
お利口さんにはなってほしくないですね。”
10年前、2013年の記事をブログに上げようと思ってコピーしました。
こんなにうまく纏めれはしませんが、僕がELENAで働く女の子たちに思っていることそのままだなーって。
僕にとってその意見はほんとここ数年前から思えるものでしたが、最先端にいる人間にとっては10年前にはもうその価値観が確立されていたんだなと。
ファッションに敏感な若い子は皆「ネットで買っている」という今の島根県の10代、20代。
島根県にも素敵な洋服屋はあると思っているのですが、流行りのプチプラファッションとなると難しいのかもしれません。
僕は洋服屋そのものがないような町で育ったので、「いつか都会に出よう!」「その時馬鹿にされないような格好はしておきたい」「何か使える話題は持っておこう」
と、ファッション誌と映画だけまるで参考書のように買えるだけ買って、観れるだけ観て何も楽しくはなかった高校生活を送っていました。
アンダーカバーは10代の僕にとって希望みたいなブランドでした。なんか見てるだけで、キラキラできるというか、特別なブランド。
髙橋盾さんが卒業した文化服装学院に行きたい。18歳の僕にとってそれが全てでした。
都会に流され、嫌なことから逃げ、半年で辞めてしまったけどあそこは人生の大きな分岐点だったろうなーと。
そんなアンダーカバーのデザイナー高橋盾さんと、APEの創設者NIGO ®さんの対談より一部抜粋します。
高橋盾×NIGO ®が久々に対談!──東京ストリート・ビートNOW&THEN【東京ストリート・ビート2021】
3月初旬。高橋盾が都内にあるNIGO ®のアトリエへ。いまや世界が彼らの動向に注目。そのふたりが、若き日を思い出しつつ、語った。
─「セックス・ピストルズ」のボーカル、ジョニー・ロットンに似ているということで、「ジョニオ」というあだ名がついた高橋盾は、文化服装学院でNIGO ®に出会う。そこから32年間、1度もケンカをしたことがないふたり。まずは彼らの伝説の始まり、裏原宿に1993年にオープンした「NOWHERE」について。
NIGO ® もともとビジネスしようって感じではなくて。
高橋 まったくなかったね。
NIGO ® 当時の『宝島』の連載「ラストオージー2」にアイテムを載せても、仕掛けるぞーってことはなくて、自分たちがいいと思うモノを紹介して売って、みたいな。ピュアにそういう感じだった。
高橋 狙いはないね。だから良かったんじゃないかな。(藤原)ヒロシ君※たちもそうだったでしょう? 面白いモノとかユニークな音楽を紹介したりとか。いまもそのスタイルは変わらずだよね。
※余談挟みますがこの雑談面白いですよ。
——ところで、ヒロシさんは大学の講師もやってるんですよね。
藤原:はい。講義をすることもあるし、展覧会に向けて作品をいっしょにつくることもあります。
高橋:講義って何についてやるの?
藤原:ポップカルチャー。
高橋:へぇ。受けてみたいな。
藤原:やりましょうか? いまから。
高橋:お願いします(笑)。
藤原:そうだな、何を話そうかな……。そうだな、人間って、昔は猿だったわけですよね。
猿だったときは、そのへんにあるものを食べていた。味気ない生活を送っていたわけです。
で、どんどん進化していくうちに、狩りをするようになったり、コメを作るようになったりして、そのうちおいしいコメをつくろうと工夫するようになった。
そのためには、土地を耕すことが必要になる。「耕す」という言葉は「カルチュア」といって、それは「耕す」を意味するラテン語が語源なんです。
だから、カルチャーというのは、心を耕すこと。つまりポップカルチャーは、仕事に疲れた大衆が、生きていくうえで心を耕して、面白いことを自分なりに見つけようということなんです。……たとえばこういう授業をやってます。
言い換えれば心を耕さない生き方をしているのは猿と同じっていう捉え方もあります。
心は耕し続けましょう。
NIGO ® 好きなものは変わってるけどね。
高橋 そこが面白い。好物は変わっているけど、基本的な行動は変わらないっていう。
NIGO ® NOWHEREがあった頃の街の空気感、なんにもなかったよね。
NOWHERE
NIGO ®のアトリエに保管されていた「NOWHERE」の立て看板。
NOW HERE=いまここにある、NO WHERE=どこにもない、でノーウェア。
高橋 「裏原」って言葉もなかった。
NIGO ® あの通り、バナナボート (※1)、プロペラ (※2)、あと美容室と定食屋ぐらいしかなかったよ。
高橋 でも、うちらがNOWHEREをやったぐらいから、まわりの友達がお店を出し始めて。まぁ、なんていうか村みたいな。裏原へ行けば誰かいるっていう。
NIGO ® だね。
高橋 俺は家でひたすら服を作って。そのでき上がった服を、バスに乗って納品に行ったりとか。NOWHEREが始まってからは、そのままNOWHEREに持っていって、だいたいそこで遊んでた。
NIGO ® みんな集まってきたよね。当時のカルチャーサロン的なノリ。
高橋 ふたりでクラブもよく行ってたよね。
NIGO ® 地方もまわったよね。
高橋 名古屋も、大阪も。福岡も、熊本も。あと仙台も行ったな。
NIGO ® 当時は若かったから、ただはっちゃけてただけだけど。
高橋 騒ぎに行って、なんかいい気になってましたよ(笑)。面白かったけどね。いま行けば、もっと違う見方ができるかもね。
ビースティ・ボーイズ
ビースティ・ボーイズは、1978年に結成されたニューヨーク初のアメリカのヒップホップグループ。メンバーは、マイケル・〝マイクD〟・ダイアモンド(ボーカル、ドラムス)、アダム・〝MCA〟・ヤウク(ボーカル、ベース)、アダム・〝アドロック〟・ホロヴィッツ(ボーカル、ギター、プログラミング)の3人。1990年代後半、NIGO ®が手掛けた「A BATHING APE ®」を好んで着ていた。Martyn Goodacre / Getty Images
(ここからですね)
─こうして生まれた「裏原」発のストリートカルチャー。Tシャツを主軸としたそのスタイルに、当時、抵抗勢力はいなかった?
NIGO ® いや、もう敵だらけ(笑)。
高橋 そうだったけど、僕らからしたらなんにも意識してなかったね。
NIGO ® ファッションの先人たちとは関係ないところから発生したしね。ただ、僕はぜんぜん取り上げられてなかったなぁ。盾くんは、94年からコレクションも始まって雑誌にも出ていましたけど。僕は、93年に「A BATHING APE ®」をスタートして、97年ぐらいに「ファインボーイズ」が特集を組んでくれたのが初めて、実は。
高橋 自分たちで発信ができていたからね。
NIGO ® うん、ある程度ね。だから、あまり認めてくれなかったんだよね、業界は。
高橋 いや、それは俺はいまでも感じているよ。やっぱり日本のファッション業界って、僕らがノリで出てきたと思っていて。しかもファッションだか情報屋だかなんだかわからないヤツらで「どうせ裏原でしょ!?」みたいな。
NIGO ® 結局、お客さんは僕らより下の世代だから、そんなしがらみは関係ない若いコが熱狂的になっていった。それで、シーンができていく。
高橋 いまのヴァージル・アブローたちは、そもそももっと広い目で見ている。僕らのカルチャーが好きだっただろうしね。だから、あまり当時の抵抗してきた人って、関係ないね。
NIGO ® 現在、ヴァージルがルイ・ヴィトンのアーティステックディレクターという事実が、もし僕らが撒いた種からだとすると、開花してるよね。
何度も見てきた話なんで、僕はただただ懐かしかったんですが、何が言いたいかというと。
ELENAの在り方の原点はここにある(「NOWHERE」)のかなとふと思ったんです。
何年も記憶の奥にしまい込んでいた話なので、意識もしてないし、規模も力も年齢も土地も違いは沢山あるのだけど。
自分が何かお店を出すって現実的に考えだしたのがちょうど一年前ですが、もしいつかやるならこういうスタイルがいいなーとは漠然とあったような気がしていて。
実際、敵と認識しているお店や人がいるわけではないし、僕はめちゃくちゃお客さんも知り合いも経験がある女の子も頼るんですけどね(笑)
信念を貫きたいとか我を通したいより。鮮麗されていきたい、向上したい納得したいが強く。
今が理想ではないから、なるべく早くそこに行き着きたい。そのために出来ることはする。
ただ媚びないとか、周りは気にしないとかそういう部分。
今ELENAで働く若い女の子たちが。
20年後くらいに、その時の何かを20年前に東本町の飲み屋で働いてたことが此処に繋がってるなーと思い出してくれたらいいなーと。
お酒が飲みたいだけならこの店じゃなくていい。
お金を稼ぐだけならこの店じゃなくていい。
なぜ人がELENAに足を運ぶのか。
そういう意味や魅力を僕らはもっと示せるようにしていかねば。。。
そんな昼下がりです。
余談ですが、僕が女性ならこういう顔の人と付き合いたいなと。