STAFF BLOG
僕の周りには「自分を嫌い」という人が沢山いました。
自分で選択して(田中田さんのブログにあった通り)、人一倍自由気ままに生きてきたので、そんな自分を嫌う意味がわからないのですが、ぱっと浮かぶ自分の一番嫌いなところが毎年定期的にくる「病み期」
抗えんというか、選択できない部分。
人とうまく喋れなくなる。ブログが思い通りに書けなくなる。
昨日の南槓あがりめなしじゃないですが、山本が言っていた”季節の変わり目は気持ちが落ちやすい”なのか、祖母が鬱気味の人だったから遺伝なのか。
毎年定期的にやってくるこれはなんなんだろうと。「また来たか・・・」と思って憂鬱になります。
そんなわけでしばらくブログを書かなかったのですが、昨日みたいになんとかかんとか書いて、今朝みたいに天気がとても良くて、グループラインでとあるお客様から「ココ最近で1番いい店はエレナだって、言っておられました✨」なんて報告とかがいくつか積み重なると、ある日突然栓がポンと抜けたように頭が聡明になる瞬間があって。
そういう時は何故か毎回”ヤマアラシのジレンマ”という言葉を思い出してしまいます。
ヤマアラシのジレンマとは、人間同士が互いに仲良くなろうと心の距離を近づけるほど、互いに傷付けあって一定距離以上は近付けない心理を指します。
人間同士が仲良くなるためには「近づくこと」が絶対条件となりますが、近寄りすぎると互いの考え方の違いから緊張感にさいなまれ、反発が起きることがあります。
※エヴァンゲリオンより
リツコさんがシンジ君が渡した携帯を全然使用していないという「シンジ君友達いなさすぎ問題」について、同居人のミサトさんに電話で尋ねたときに出てきたことで有名になった言葉。
リツコさんの言葉を借りれば
「ヤマアラシの場合、相手に自分のぬくもりを伝えたいと思っても、身を寄せれば寄せるほど体中のトゲでお互いを傷つけてしまう」
つまり、シンジ君は心の痛みに怯えて臆病になっている、と。
元は哲学者の寓話
元はドイツの哲学者であるアルトゥール・ショーペンハウアー氏の寓話が元で、人間の心理に例えられるようになったのだそうです。
ヤマアラシのジレンマは、人間同士も精神的に近づきすぎると同じ事が起こりますので、お互いに適切な距離があるというような意味合いで使うようです。
あとになってわかるのは、小さなジレンマの積み重ねかなって。
「気に食わないけどまあいいか」「気にしないでおこか」が一定量積み重なると、重くなって、でも一つ一つは大した問題じゃないから自分の中でどれが原因かわからなくて何をどうしたらいいのかわからない。
わからないっていうことが最大のストレス。
どうでしょうか?
季節の変わり目は落ちやすいのは必然なのか、それともただの偶然でしょうか?
定説ではありますが、元気でノリノリの人間もやっぱりいるので、僕は理由や原因はあるように思います。
ブログを書いている13日の金曜日。
オープニングメンバーの一人、翼ちゃんが退店します。
円満退職で経験者だった彼女には色々学ばせてもらい感謝しかありません。
良い雰囲気をもたらしてくれたし、皆に愛されていた子でした。
ELENAのオープニングキャストは本当に仲が良かったのですが、今後入店してくる子達とはまったく同じようにはいきません。(関係性において平等ではない。相手は先輩と思って構えるから)
頭の片隅にヤマアラシのジレンマを置いて、うまく付き合って引き続き良い雰囲気のお店であってくれることを願います。