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「よくこんな親から、」否...

スタッフブログ:2025年02月16日 07:07の投稿「「よくこんな親から、」否...」

当然ですが、松江市に住まれてる方なら



多くの方は一度は行ったことあるきたがきさんですが。

コロッケはもちろん美味しい。

バーベキューやすき焼きをする時もお世話になる。

でも僕が一番魅力を感じているのは鶏ガラを沢山売ってくれるというところなんですね。
島根に住んで良かったことランキングトップ10には入るくらいの魅力。

鍋、リゾット、カレー。この3つにはここの鶏ガラが欠かせない。
粉末の鶏ガラとか、市販の鍋スープがめちゃくちゃ安っぽい、まずく感じるようになるので、料理好きな方は是非お試しください♪


なんて、小話から入りましたが、前回のブログからもう一エピソード浮かんだので、今日はちょっとそれについて書いてみようかと思います。

今日は僕の母親についてなんですが、ブログをちょこちょこ読んでくれているようなので、呆ける前に一度くらい母について書いてもいいかとどこかでは思っていて、今日はそれについて書こうと思います。

前置きとして、父曰く僕と母親はとてもよく似ていて、特に悪いところが似ていると。

いくつか衝撃的なシーンがあるんですが、今日は本人が怒らない程度のところでいくつか整理してあげると。

最初の衝撃は確か小学5.6年生の頃。薄々気づいてはいたけど、まだいけるだろうとクリスマスプレゼントをサンタさんに頼みつつ遠回しに伝えて年々グレードアップを企んでいたところ「いい加減にしんさい!あんた私たちが買ってるの気づいてるでしょ!!」と言われました。

この世にそんな言い方で子供の夢を破壊する親がおるんかと驚きました。


同じころ、わがままか駄々をこねていたところ、また同じように「お母さん長くは生きれないんだからそんなこと言わんで!」とねじ伏せられました。

若いころ膠原病という不治の病と言われていた大病を発症したらしく、それは知っていたけど、最終奥義をこんなところで使ってくるかあとそれも驚愕でした。

ちなみに、60代の頃、ある日突然「なんでかわからんけど治った!(笑)」と言って、無事70代を迎えております。なんじゃそら!


高校時代はとにかくやることなくて、ファッション雑誌と深夜やってたファッション通信、麻雀、タバコこの3つが僕の7割を占めているような高校生活でした。

誰もたばこを吸わない家庭だったので、まあばれるばれる。

その度に母は怒り狂って何度も取り上げられました。


18歳の春。

今振り返ると相当恥ずかしいんですが、佐藤家は渋谷のドンキで大量に一人暮らし用具を買い込み、家族揃ってドンキの袋を持ち歩き渋谷駅からバスに乗って一人暮らしのアパートに。(キングオブイナカッペみたいな行動ですね💦)

そこで母がそれまで取り喘げて来た、タバコ・灰皿・ジッポを「もういいよ」出してと言ったのは僕にとって母の一番かっこよかった姿です。

確かその時だけ一緒に吸ったような。。。最初で最後の母のタバコ姿が記憶に残っています。


そして22歳かな。

人生の絶望を迎えていた僕に会いに心配した母は一人で東京に出てきました。

ありがたかったけど、照れくさくて、うまく構えずに、せっかく来たのに、パチンコに麻雀。

終いには暇つぶしチャットでひっかけた女の子(のちの奥さんなのが救い)とのデートを優先して、計画を全てすっ飛ばす始末。

僕の家に数日、出て行った田村の家に数日過ごして、最後僕の家に戻ってきた時のことは今でも記憶に残っています。


「東京駅まで送るよ」→「いい」
「なら、バス停まで送るよ」→「いい」
「あっそう。。。」

その後、逃げるように母は帰っていき、僕はいつも通り雀荘に向かいました。

麻雀を打ちながら、ふとあまりに酷い対応に我に返り

「母さん、せっかく来てくれたのにごめん。」とメールすると

”家を出たら涙が溢れてきたけど、駅でお土産を選んでる内に自然と止まった。

母さんが来たことが無駄にならなければそれでいい。多くを望まずとも自分の人生を切り開いてください”

泣きすぎてその日はもう麻雀にならなかったのを覚えています。


あれから20年が経ちました。

一語一句違わず、母の言葉通り、本当に多くを望まない自分の人生を過ごす日々となりました。母は偉大ですね。


先月、そんな母が初めてELENAに遊びに来ました。

そういう場所は初めてだろうし、好きでもなさそうだし。

子供を妊娠したことを伝えると「あんたみたいなもんが育てられるわけがない!」と全否定されたこと。(彼女に昼夜働かせてプレステ2をひたすらやってるニートだったので)

島根に戻って初出勤の時に2000円貸して、1000円しか貸さないで今のガラス殴り割って取っ組み合いになったこと。

多分人生で一番喧嘩した相手。

そんな母さんが穏やかに父さんの横で、その日誕生日を迎えた僕の同級生の横で佇んでいる様子は、あまりに遠回りしすぎたけどここに辿り着いて良かったと少しだけ思えた時間でした。


1次会の居酒屋で僕を知るお客様の数人が両親と世間話をする中で「よくこんな親(常識人)からこの子が育ちましたね(非常識人ってこと?てへ)」と弄られました。

違う。その人たちは全然わかってない。

そういう親だから、そういう家庭だったから、こういう人間になったんだと僕はそう思っています。良くも悪くもね。

沢山不満はあったし、無いものねだりもしてきたけど、今となっては両親には感謝しかないですね。
めちゃくちゃわがままに生きさせてもらえて。親になった今だからわかる、とても真似できないですもん。


僕もELENAも働く若い子たちにとっていつかのいつか、そういう存在になれたらとどこかで思う今日この頃です。


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