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おはようございます!山本です!
最近ちょっと息抜きがしたくて、久しぶりにゲームを買ったんですよ。
タイトルは 『塊魂』。
僕が小学生の頃かなり流行ったゲームです。
シリーズ展開も多かったのに、ある時からピタッと姿を消して、
「あのゲームまた出ないかな〜」なんて密かに思ってたら…
まさかの新作。いやそりゃ買うでしょ!と手に取りました。
ワクワクしながらプレイし始めてみると
「あれ?最近のゲーム……優しすぎない?」
そう感じました。
昔って、ゲームを買っても説明書はペラい紙一枚で、
操作方法の“最低限”しか書いてない。
あとはもう、手探りで進むしかない。
だけど今のゲームはチュートリアルがきっちりあって、
「ここでこのボタンを押してね!」
「今がジャンプのタイミングだよ!」
と、すごく丁寧に案内してくれる。
親切なのはわかる。
だけど……物足りない。
思い出してほしいんですが、
ストリートファイターとかやってきた世代ならわかると思うんです。
“コマンド技”なんていちいち説明してくれない。
友達に教えてもらって、自分で試して、失敗して、もう一回試してまた失敗して
その積み重ねで、やっと1つ技が出せるようになる。
あの「自分で攻略していく感覚」がゲームの醍醐味だったと思います。
でも今は、つまづいたらヒントが出る。
何度もミスると“救済措置”が出てくる。
優しいんだけど……ヌルい。
極端な例で言うと 魔界村。
あれ、僕ステージ1すらまともにクリアできませんでした(笑)
でもめちゃくちゃ楽しかった。
友達とワーキャー言いながら
「そこジャンプじゃない!!」
「もうちょい奥!奥!!」
ってブラウン管テレビに張りついて、何度も挑戦して。
あれこそ“達成感”が気持ちよかった。
今のゲームは難易度が低いとかじゃなくて、
「迷わせてくれない」って感じなんだと思います。
で、これってゲームだけの話じゃなくて、
なんとなく現代全体の空気にも繋がってるなって思いました。
“自分で考える”
“試行錯誤する”
“仲間と相談しながらクリアする”
みたいな文化が、薄れてる気がする。
失敗する前に答えが出るし、つまづくとすぐ「攻略法」がネットにあるし、“迷う”経験をしなくなってる。
だからこそ、発想の型が一つになりやすいし、
「自分のやり方」しか知らない人が増えるんじゃないか、と思います。
で、ゲームって娯楽であるんだけど、
捉え方次第では “人を繋げるツール” でもある。
エレナでも、最近 ワードウルフ が流行ってるんですよ。
ワードウルフとは
同じテーマについて話すけど、1人だけ“違うお題”が配られている。
その人=ウルフを、会話の中から探し出すゲーム。
これが男女年齢問わず、自然とコミュニケーションが生まれるとても楽しい遊びなんです。
「え?なんでそれ言ったん?」
「その発言怪しいな〜」
こんな感じで、勝手に会話が盛り上がる。
ゲームが会話を作り、人を繋げ、その場の空気を明るくしてくれる。
昔のゲームが“攻略”で繋がっていたなら、今のテレビを使わないゲームは“会話”で繋がってる感じがします。
ただやっぱり僕は、自分の力でクリア方法を探すあの感じが好きだったなと思います。
攻略をみる前の手探り。失敗して悔しがるあの感情。
友達と協力してクリアした瞬間の爆発的な喜び。
そういう“迷う楽しさ”が欲しくてゲームをしてたんだと思います。
便利で優しい時代だからこそ、僕らはどこか“迷う経験”を失ってるのかもしれません。
そんなことをぼんやり思った、今日この頃でした。
