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「じゅんでいいか?」
「僕も英さんでいいですか?」
と、フランクになりだした頃に、今回帰られた目的となっているお祭りについての話になりました。
僕にとってのそのお祭りはちょうど30年前の事を明確に覚えているトラウマでしかなくて
英さんにとってのそのお祭りは、子供の頃の一番の楽しみで思い出。
僕の一番古い記憶って、なんでも買ってくれる優しい父親におねだりし続けた末に初めて「ダメ!」を言われたので
「だったら、お父ちゃんが○○なことみんなに言うよ!」というと(いやなガキだ!)
『勝手にせい』とぷいっとそっぽを向かれた時のこと。
人には言ってはいけないことがあるんだなーということを知ったのが記憶の始まりです。
よく言葉がきついとかストレートと言われますが、悪意だけで、本当に傷つくことは言ってないはずなんですよね。
嫌いな人に向かってそんな本音は言わないから。何かを願ってのそれなはずなんだけど、言い方やタイミングや気分で失敗してしまう時もありますが、根底にはそのことがあるような気がしています。
小学生の頃、思春期に入り、僕は父に対して複雑な感情を抱く少年でした。
いじめというほどのものでもないけど、嫌な上級生に陰湿にその父が隠していることをいじられるようになって。
父が隠していることだから、「そうだよ!」ともいえず、なんて言っていいかわからなくて、濁して恥ずかしくて。まあざっくりいうとカツラ被ってたんですけど。
好きなんだけど嫌い。
恥ずかしいんだけど、前に出てくる。
またある時は僕がピッチャー、親友がバッター、父さんがキャッチャー。
練習の最後で迎えに来た保護者が見守る中で、親友がファールを重ねる中で、ファールチップが父のマスクとカツラを吹っ飛ばして、あれ以上の静寂って人生であったかなってくらい静まり返った中、一人冷静に付けなおして被りなおす父。
マウンドに立つ佐藤少年はもうあと一球も投げれないくらい心が砕けてるんですね。
その後打たれたのかどうかも覚えてない。そこでその日の記憶は真っ暗になってる。
その後も、何事もなかったように野球の試合とかに大量のポカリスエットとか買ってくると「来るなよ!いらないよ!!!」って大声で叫んだり。
人の気持ちがわからない(田村とよく似てますわ)とは思っていたけど、酷いこと言ったんだろうなー。あの時父はどんな気持ちだったかなー。。。
この歳になって、ようやく”しょうがなかった”→”自分が未熟だったんだ”という風に認識が変わってきたように思います。
繊細だったんだろうけど、子供心に、父親が馬鹿にされたり笑いものになってほしくなくて。
今の田村へのきつさもそれに近いのかもしれないですね。
僕が一番きつくあることが、田村にとっても僕にとって一番楽なんだと思っています。
今の時代、ちゃんと怒ってくれる人なんてなかなかいない。人が離れる時って理由も言わず、静かに消えていく。
その理由もわからず、暇だ、来なくなったなーって嘆いてばかりでは始まらないですしね。
そんなエピソードが点々とある中で、溢れていた感情が爆発するときがやってきます。
太鼓を叩いて大人が笛を吹いて、街を歩くよくあるような地元の人間がほぼほぼ参加する年に一度のお祭り。
朝は公民館で食事をして町を練り歩く。
雰囲気も楽しいし、当時3000円だか5000円だかもらえて、いい小遣いだし、気分は高揚してますよね。
町で一つのスーパーで休憩して、あとは宮に上がるだけ。
疲れから解放される。お金貰える。屋台で何買おう。
テンションが最高潮に達したところで、バタリと物音がして絶望に変わりました。
朝から飲みすぎた父さんが酔いつぶれて、ど真ん中で大いびきで寝だして、それを皆が囲んで子供たちの笑いものになってる。
お金もいらない!おもちゃもいらない!
ただただこの場に居たくない!
もう涙をこらえながら、家に全力で走って、家に着いた瞬間堰を切るように泣きじゃくりました。
子供が一番の母が飛び出して、連れかったべろんべろんの父に「あんたは子供がこんな思いをしてるのに、それでも飲みたいの!!!」って叫んでたけど、まあ・・・届かないですよね。本人、気持ちよく大いびきで目呟ってるんですから(笑)
小学6年生って6段階のトップで。6年生が全てみたいじゃないですか?
なんか今よりよっぽど権威的で、思春期でかっこつけたかったり、恥ずかしいも沢山あって。
そう思い込んでただけなんですが、その全てが崩れ落ちる瞬間でした。
なんで、沢山の大人がお酒飲んでるのに。
なんで、僕のお父さんだけ潰れて寝てみんなの笑いものになってるんだろう。
なんで、いつもいつも自分だけ親の事でこんな思いをしなきゃならないんだ。
その相手が、唯一嫌いになれない存在で。
絶対こんな大人にはなりたくない!
その時強くそう思って、僕は翌年から5000円も1万円もいらないから祭りには出ない!って周りで1人だけ出なくなりました。
英さんにそのことを話すと。
「わかるよ。俺も子供の頃は親父が恥ずかしかったんだ。」
「ただな、その時のおまえの親父さんは幸せだったんよ。いつかわかるよ。」
穏やかにそう言われました。(大人やなー🍶)
祭りも、お酒も、酔っぱらいも大嫌いなまま何十年を過ごしました。
昨今くらいで、ようやく少しわかる年齢になり、気づけば自分が一番嫌いだったものが深く関わるお店を出しました。
人生はわからないものですね。
英さんが言ってることを100%わかるわけではないけど、自分にとってすごくつらかった時間をそう言ってくれる人が現れたことを、自分が全否定した父の味方をする人がいきなり突然現れたことに救われたように思えました。
英さんが行くならと、30年避けていたそのお祭りに翌日帰ることに決めました。
明日その話を書いて今回のブログは終わりとします。
P.S.書く隙間がなかったので最後に書きますが
英さんは松江に住んでいる同級生のためにボトルを入れられ「俺の代わりに来てやれよ!」
シャンパン入れるか?と言われたので、メニュー表を持っていき『何にされますか?』と言うと「ばかやろー!こういう時は一番安いやつに決まってるだろ!!(笑)」(同級生という集まりの場に対して)
お会計の際は「今日は使う気で来たからぼったくっていいぞー!」
とびっきり。粋な方でした。